七色

感じることを怠けないように。

 支えるなら腕で、伝えるなら声で


最近自分で言っておもしろかったこと。「思い立ったときが動くとき。そこで動かなかったら、次に思い立ったときが動くとき」 これ、ほんとにその通りなんだけど、この「思い立つ」って、別にそのときいきなりゼロから100になるわけじゃなくて、それまでわりと長い期間水面下でじわじわもやもやかたちなく考え続けてたのが、いきなりふっと意識に昇る感じなんです。背後で絶え間なくずーっと雑音みたく聞こえてた音が、いきなり誰かの声になって、はっきりとその言葉が聞き取れるような感じ。前段階のじわじわもやもやのときにむりに言葉にしたり、かたちにしようとすると、あんまり上手くいかない。「思い立つ」とこまで来て、その瞬間を上手につかまえると、面倒でもなんでも、けっこうつるっと動ける。(ただ、はたから見ると本当にいきなり動き出すようで、面食らってしまうみたい。申し訳ない。)そういうよくわかんないもやもやした波を常にいくつも身体の中にかかえて生きてるような気がする。

あんまり関係ないけど、今はまだ出来ない、とか、今はまだ言えない、とか、そういうのをもやもやと胸に抱き続けてるのは、あんまり悪くないんじゃないのかな。面倒で面倒でどうしようもなくっても、抱え続けてればいつか、あっ、て、ぽろって、かたちになってしまうことがあるかもしれない。整理の付かない色んな感情(大体マイナスのものだ)をぐるぐる抱えてるのはつらいけど、でも身体のどこかでそれをちょっとでも感じ続けていれば、だんだん、聞こえてくるものもあるんじゃないのかなー。あ、そうか、っていつか思えたり、やっぱ冗談じゃねーやって殴りかかったり……は、あんまりしないほうがいいけど。

昔ものすごくものすごく悲しくてたまらなかったことが、今はそこまで悲しくなくて、でもそれは新しい何かを嘆き悲しむための布石かもしれない。自分は変わらないし、悲しいことはなくならない。今でも、指先にぴりって静電気が走るみたいに、感じることがある。悲しいことの予感。いつかはっきりかたちになって、めちゃめちゃに打ちのめされるかもしれない。でもその輪郭に、どこかで心を預けてしまうとも思うんだ。

つながってる。きりはなせない、ってことです。まとまんないけど。これは自分だけの話で、でもたぶん、ひととのつながりもそうなんだろうな。今更なかったことにできない色んなことにちょっとずつ打ちのめされて、年を取るごとにだんだんしぶとくなってくのかもね。