七色

感じることを怠けないように。

神の守り人<来訪編> (偕成社ワンダーランド(28))

神の守り人<来訪編> (偕成社ワンダーランド(28))

神の守り人<帰還編> (偕成社ワンダーランド(29))

神の守り人<帰還編> (偕成社ワンダーランド(29))

バルサ主人公のほうがやっぱり面白いなあ。タンダは本当に甲斐甲斐しい。いい男だ…。本作は「神と信仰」がテーマになっていて、現代に通じる色んな問題をはらんでいて、読み応えがあった。過去の経験で恐らくは心を病んでしまった母が、娘に教え込んだこと。酷いとは思うけれど、たぶん良くある話でもある。それから、どうして人を殺してはいけないか? という問いへの答えも、本作には描かれている気がする。

以下、少し長いけれど引用。

 バルサは、ゆっくりとした動作で、自分の寝台に腰をおろした。しばらくだまっていたが、やがて、低い声で話しはじめた。
「わたしも、ものすごく人を憎んだことがある。あんたぐらいのころは、そいつを殺すために、むちゃくちゃな修行にあけくれていたよ。身体の底に、どろどろの熱い憎しみがあって、槍をふり、こぶしをなにかにたたきつけていないと、自分が内側から破裂しそうだった。」
 バルサは、ぽつぽつと、むかしのことを話した。カンバル王のきたない陰謀の犠牲になった父のこと。自分の人生をすててバルサを助けてくれたジグロのこと。長い、長い旅のことを。
「はやく、強くなりたかった。だれよりも、強く。……強くなれば、すくわれると思った。」
 アスラが、うなずいた。弱くて、小さくて、母をたすけることさえできなかった自分。気軽にけとばされる小石になったような、あの無力感。
 だれよりも強くなれば、もう二度と、あんな思いはしなくてすむ。
「でもね……。」
 バルサは、かすれ声でいった。
「強くなっても、わたしは、すくわれはしなかったよ、アスラ。」
 アスラは、いぶかしげな目でバルサをみあげた。
「武術の腕の強さや経験は、わたしの命を、いく度もすくってくれたし、この腕っぷしの強さのおかげで、誇りもまもっていられる。でもね……。」
 バルサは言葉をさがした。胸にうずまいている思いを、どう言葉にしていいか、わからなかった。
「憎いやつを殺せば、すべてかたがつくわけじゃない。そいつを殺せば、すっきりするなんて……そんなもんじゃないんだよ。」
 短槍の柄に額をつけて、バルサはつぶやいた。
「気がつくと、いろんなものが、とりかえしがつかない変わり方をしてしまっているんだ。」
 バルサは、アスラをみつめた。
「いちばん変わってしまうのは、自分だよ。自分が、どんな気もちで人を殺したいと願ったか、だれも知らなくても、自分だけは知っているからさ。……想像してみると、たまらなくおぞましくなる。憎んで、憎んで、人を殺したいと願い、人の死を一瞬でも気もちがいいと思ったとき、わたしは、どんな顔をしていたんだろうね。」
 首筋が冷たくしびれ、こわばってくるのを感じながら、アスラは身をかたくしていた。
 目をふせて、アスラはつぶやいた。
「……でも、それがわるいことだったのなら、カミサマが、祈りをかなえてくださらなかったはずだもの。」
 自分にいいきかせるように、そういいながら、アスラは床から目をあげなかった。
 バルサは、かすかに首をふった。
「わたしは、神がどんなものか、わからない。おさないころ、父から、雷神ヨーラムが、どんなふうにこの世を想像していったのかおそわったし、ふしぎな精霊たちに、いく度かふれる機会があったけれど。
 雲をわかせ、雨をふらせる精霊の卵もみたし、人の夢を抱く花もみた。人の思いを青く輝く石に変える、透明な蛇に似た山の王にもであった。だけど……。」
 バルサは、つぶやくようにいった。
「よい人をすくってくれて、悪人を罰してくれる神には、まだ一度もであったことがない。」
 アスラは目をあげた。バルサの目には、アスラを責める色はなかった。その目にうかんでいたのは、深いかなしみだけだった。
「悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない。……そう思わないかい?」

養老先生が著作の中で、人を殺してはいけない理由を、一度殺してしまったら元に戻せないから、取り返しがつかないから、と言っていたけれど、これも広義ではそういうことなんだろうなあ。そして大人が子どもに、誰かを殺してもいいんだ、殺せ、と教え込むのは、本当におぞましいことだな。

ラストはいいラストだった。

「目ざめなよ、アスラ。生きるほうが、つらいかもしれないけれど。」
「自分が、生きていていいと、思えるようになるまでには、長くかかるけれど。
 それでもさ……。」

どんな罪を犯しても、人であれば、生き物であれば、ほんとうは生きていたいはず。それはひとのおぞましさでもあり、健やかさでもあるんだろうな、と。