■
- 作者: 上橋菜穂子,二木真希子
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2003/01/22
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (43件) を見る
- 作者: 上橋菜穂子,二木真希子
- 出版社/メーカー: 偕成社
- 発売日: 2003/01/22
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
以下、少し長いけれど引用。
バルサは、ゆっくりとした動作で、自分の寝台に腰をおろした。しばらくだまっていたが、やがて、低い声で話しはじめた。
「わたしも、ものすごく人を憎んだことがある。あんたぐらいのころは、そいつを殺すために、むちゃくちゃな修行にあけくれていたよ。身体の底に、どろどろの熱い憎しみがあって、槍をふり、こぶしをなにかにたたきつけていないと、自分が内側から破裂しそうだった。」
バルサは、ぽつぽつと、むかしのことを話した。カンバル王のきたない陰謀の犠牲になった父のこと。自分の人生をすててバルサを助けてくれたジグロのこと。長い、長い旅のことを。
「はやく、強くなりたかった。だれよりも、強く。……強くなれば、すくわれると思った。」
アスラが、うなずいた。弱くて、小さくて、母をたすけることさえできなかった自分。気軽にけとばされる小石になったような、あの無力感。
だれよりも強くなれば、もう二度と、あんな思いはしなくてすむ。
「でもね……。」
バルサは、かすれ声でいった。
「強くなっても、わたしは、すくわれはしなかったよ、アスラ。」
アスラは、いぶかしげな目でバルサをみあげた。
「武術の腕の強さや経験は、わたしの命を、いく度もすくってくれたし、この腕っぷしの強さのおかげで、誇りもまもっていられる。でもね……。」
バルサは言葉をさがした。胸にうずまいている思いを、どう言葉にしていいか、わからなかった。
「憎いやつを殺せば、すべてかたがつくわけじゃない。そいつを殺せば、すっきりするなんて……そんなもんじゃないんだよ。」
短槍の柄に額をつけて、バルサはつぶやいた。
「気がつくと、いろんなものが、とりかえしがつかない変わり方をしてしまっているんだ。」
バルサは、アスラをみつめた。
「いちばん変わってしまうのは、自分だよ。自分が、どんな気もちで人を殺したいと願ったか、だれも知らなくても、自分だけは知っているからさ。……想像してみると、たまらなくおぞましくなる。憎んで、憎んで、人を殺したいと願い、人の死を一瞬でも気もちがいいと思ったとき、わたしは、どんな顔をしていたんだろうね。」
首筋が冷たくしびれ、こわばってくるのを感じながら、アスラは身をかたくしていた。
目をふせて、アスラはつぶやいた。
「……でも、それがわるいことだったのなら、カミサマが、祈りをかなえてくださらなかったはずだもの。」
自分にいいきかせるように、そういいながら、アスラは床から目をあげなかった。
バルサは、かすかに首をふった。
「わたしは、神がどんなものか、わからない。おさないころ、父から、雷神ヨーラムが、どんなふうにこの世を想像していったのかおそわったし、ふしぎな精霊たちに、いく度かふれる機会があったけれど。
雲をわかせ、雨をふらせる精霊の卵もみたし、人の夢を抱く花もみた。人の思いを青く輝く石に変える、透明な蛇に似た山の王にもであった。だけど……。」
バルサは、つぶやくようにいった。
「よい人をすくってくれて、悪人を罰してくれる神には、まだ一度もであったことがない。」
アスラは目をあげた。バルサの目には、アスラを責める色はなかった。その目にうかんでいたのは、深いかなしみだけだった。
「悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない。……そう思わないかい?」
養老先生が著作の中で、人を殺してはいけない理由を、一度殺してしまったら元に戻せないから、取り返しがつかないから、と言っていたけれど、これも広義ではそういうことなんだろうなあ。そして大人が子どもに、誰かを殺してもいいんだ、殺せ、と教え込むのは、本当におぞましいことだな。
ラストはいいラストだった。
「目ざめなよ、アスラ。生きるほうが、つらいかもしれないけれど。」
「自分が、生きていていいと、思えるようになるまでには、長くかかるけれど。
それでもさ……。」
どんな罪を犯しても、人であれば、生き物であれば、ほんとうは生きていたいはず。それはひとのおぞましさでもあり、健やかさでもあるんだろうな、と。