七色

感じることを怠けないように。

 ずっとまともじゃないってわかってる

たのしいときに音楽ってあんまり要らない。かなしいときとかさびしいときとか、きつい朝とかだるい夏とか苛つく春とか眠れない夜とかに、わたしは音楽が要る派。(たのしいときにもっとたのしくなる音楽はライブ限定だなあ。) 他に印象に残ってる音楽っていうと、ゲーム音楽、とか。。。

カメラを向けられることがいつ頃からいやになったのか、写真の整理をしてたら目に見えるようで、複雑なきもちになった。うれしくて笑ってた頃、なんとか笑顔を作ってた頃、それすらしなくなった頃。ずっと、つかれてたんだよなあ。それをあのレンズに見通されるのがいやで、逃げてばっかりいた。なんか、このときもこのときもつらかったなあしんどかったなあ、とか、大事なひととの写真がほっとんど残ってないなあ、とか、そんなんばっかり。

そんな写真の間に、先生にもらった詩がはさまってて、読み返してしみじみとした。


  奈々子に


赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた。
お父さんにもちょっと酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんはお前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか。
お父さんははっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。

苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。


吉野弘さんの詩です。これ、すごく何度も読み返したな。今も、中学生の頃とはちがった感じにがつんと胸に来る。(もらったものは、やっぱり残ってる、かもしれない。)