七色

感じることを怠けないように。

風邪はおわったはずなのに、頭が痛くて熱があってだるいのは何故だろう。掃除中に記憶をなくしてソファで寝てたりするのは何故だろう。(しかも正座でクッションに突っ伏してて、足が痺れて死ぬかと思った。)……この週末にそう無茶をしたつもりはないけど、なんかこう、なんかこう、もうちょっとどうにかなってくんないかなあ!>自分。とりあえずは付け焼き刃のはやねはやおきをつけ込もう。ぎゅぎゅっとね。


ばらっと砕けるチューリップ、ぼたりと落ちる椿。散る姿がずっと苦手だったのに、今年はじめて「いいなあ」と思った。いさぎよく、みっともなく、かたちを崩して、散る。



以下、まとまらない話。


苦しいことは苦しい。つらいことはつらい。そこに優劣はないんだろうな、なんてことをちみちみと考えてる。私の方がずっと苦しい、ずっとつらい。てことはないんだろうなと。……相対的にはそりゃもちろんあるだろうけど(37度の熱<40度の熱とか)、でも主観では、端からみてどんなに小さくても、自分の苦しみや痛みがいちばん大変で、いちばんつらくて、それはみんなそうなんだろう。みんな、そのとき自分のいちばん大変なところがいちばん大変。ひとの痛みはわからないし、わかれない。わたしがわたしがって言われてひどくきもちがさめるのは、そのせいなのかな。わたしがわたしがって言われてる限り、それはそのひとだけの話。こっちの「わたし」が入ってゆける隙間はない。それは、少しさみしい。


なんかほんとうに不思議なんだけど、わかりあえないことってそんなにダメかな? みんながみんな自分が大事で、自分の痛みにだけ敏感で、だけどそれは必ずしも利己的になることとイコールじゃない。わたしは自分が大事だけれど、ひとが自分を大事にすることにはできうる限り誠実でありたいと思ってる。わからない、わかれない、まざれない、理解し合えない、ことは、それだけならそうひどいことでも悪いことでもない。ただひたすら当たり前なだけで。………どうしてわかってくれないの、なんて、きっと一生思えない。わたしとあなたは違うひと。それはとてもすばらしいことじゃないのかな。わたしが苦しくてつらくてどうしようもないことを、決して理解できないひとがそばにいること。苛つくことも、救われることもあるよ。わたしと決してまざらないもの、その遠さ、その絶望、そのやさしさ。どうしようもなく感謝している、それら。


自分ばっかり苦しかったりつらかったりするのは、別にいい。怒鳴るのも泣くのもなじるのも罵倒するのもいい。ただ、他のひともみんなそうなんだって知ってほしい。そうしてそれは、悪くもひどくもこわくもないことなんだって。