七色

感じることを怠けないように。

秋だなー。

以下、ちょっと繰り言。


覚悟をするということは、ダメージを受ける覚悟をするということ。だから傷ついたり八つ当たったり愚痴をゆったり熱が出たりするのは仕方ない。最初からわかってたんじゃないの。わかってて覚悟してたならなんでそんなにダメージを受けるの。そう言われると、ちょっと驚く。なぐられると思っていくら身構えてたって、実際になぐられたら痛い。そこで、こんなの全然痛くない、とはもう思えない。(子どものころはそう思ってた。そういう反発だけでできてた。じゃないとやってられなかった。)それは痛くたっていいじゃん。ダメージくらったっていいじゃん。至らなさに吐き気がするけど、でも泣き言や弱音はオーケーな気がする。弱いのは仕方ない。それでも札束で横っ面をいきなり殴り飛ばされるよりはマシ。ある程度予測のできてたダメージなら、まだ体勢を立て直しやすいから。……わかってても踏み込んで、何度も自分から殴られに行くのは、もうばかだからしょうがないな。ひとのいのちがかかってなくても、かかっても、同じようにしてしまうんだ。

無理をする気があるか、ないか。ってことなのかもしれない。身の丈に合わないこと、手にあまること。それをする気があるかないかってことが、この温度差につながるのかも。できることはする。できないことはやらない。無理はしない。このひとはこれにはそういうスタンスで取り組むんだ。それは、見極めなくちゃいけない絶対の線なのかも。……たとえば、母親の命がかかってても?

無理はしないって、でもそんなことって可能なのかなあー。わたし、できた試しがない。それができないともうかなりいろいろ危ないし、何より周りに迷惑をかけまくるので、覚えなきゃと思ってるんだけど、でも39度の熱とか、仕方ないって思っちゃうもんな。倒れないとわからない。ばかすぎる。

悔いがあるか、ないか。ってことがわたしには何よりも大事なんだよな…。ほんとうに、どこの白ヒゲだよ?って思うけど。何もかもその二択で判断がつけられる。その結果だけを納得して飲み込める。だけどそれは、ひとに求めていい二択じゃない。他のひとはそんなルールで生きてない。というか、誰に悔いが残っても残らなくても、そんなのそのひと以外には全く関係がない。誰だってそんな理由でふりまわされちゃたまらない。わかってるつもりなのに押し付けがちで、反省する。

無理なんかしないですめば、それにこしたことはない。でも、無理をしないってことがどういうことなのか、わたしにはもうよくわからない。しなくてもいい無理を、自分からしてる気がする。でもそうじゃない道筋が見つけられない。最初から、無理をすることが勘定に入ってる。……ずうっとそういうふうにやってきたからって、この先もそうでいいってことにはならない。それが大事なひとやことや自分自身を踏みつけにすることになるのはわかってる。でも、それでも「わたしやるよ」って言っちゃうんだ。だって、やらないと悔いが残るから。ばかすぎる。

とにかく、何より、体力…!! まずはちゃんと食べよう。写真に写ってた自分があまりにも貧相になっててびっくりした。会う人会う人にちゃんと食べてますかと訊かれるのもひどい。まず……1日2食は食べよう。がんばります。